t_ryo

焼肉が大好きな新卒1年目の社会人。大学時代はWebマーケティング会社で働く。今は某インフラ会社の営業。好きな焼肉は、ダイヤモンドcutハラミ(タレ)、牛タン塩(トラジ新宿店)です。

地獄のDNA鑑定とゲーム理論が浮き彫りにする事実

最近は仕事が立て込んでいて、家に帰るのが遅かった。久しぶりに早く帰れたのでテレビを見ていると、興味深い番組が流れていた。

その番組ではブラジルのユニークなTV番組を紹介していた。

依頼者によるDNA鑑定を放映するというものだ。男女間にできた子供の親が本当にその男か女かを調べるものである。

ブラジルの女はキレるとハイヒールをすぐ投げることや、そもそもこの番組が放映される自由さに驚きを感じたが、今回の焦点はそこではない。

ルールはいたってシンプルだ。
「自分の子供ではないと思っている男vsその男の子供であると思っている女」
の構図である。

勝負の場合分けと結果は以下である。

・男が依頼した時(女が浮気したと疑う)
男の子供だと判明→女に素直に養育費を払う
男の子供ではないと判明→女に払っていた養育費を取り戻せる

・女が依頼した時(男の子供であると疑う)
男の子供だと判明→女は養育費もらえる
男の子供ではないと判明→女は養育費をもらえない

番組自体はこのシンプルなルールに、両者の肉弾戦が目玉であるが、ここで半カードという選択肢を加えると少し奇妙なことになる、と湯船に浸かりながら思った。

半カードのルールを加える。

半カード…男も女も受諾した場合に、養育費が半分払われると決定されるもの。出す権利はどちらにもあるが、両者の合意が必要。DNA鑑定は行われない。

さて、これも場合分けして考えていこうと思う。

男が依頼した時→半カードは成立しない

男は完全に違うと信じているから依頼するわけで、半カードを使う選択肢はない。つまり成立しない。そもそも少しでも自分の子でない可能性があるならば、この番組に出ない。

女が依頼→半カードありうる
男が半信半疑の場合に出す(もしかしたらおれの子かもなあ…くらい)可能性がある。大事なのが、ここで女性が受け入れる場合だ。
基本的に女が依頼しているということは、その男の子供であると信じているわけだ。しかし、一寸でも疑いがある場合(もしかしたらあの夜ヤッた男かも…など)、このカードを受け入れるケースがある。その場合、女は半分の養育費を確実に手に入れることができる。この場合は男も女も共犯者といえる。

以上より、半カードが成立する時点で、両者ともに浮気をしたことがあると宣言したのと同義であるということ、が言える。

囚人のジレンマとはちょっと違ったゲーム理論が成り立つ。
強気で攻めるか、半分で落ち着かせるか、その合理的な判断が隠された事実を浮き彫りにする。

ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って

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盲腸の事後血液検査で有給休暇をもらった日。
池澤夏樹著の「スティル・ライフ」に手を伸ばした。父からもらった本で昔読んだことのある小説だ。

・あらすじ

ぼくの一人称で描かれる物語。染色工場のアルバイトで出会った佐々井というちょっと変わった男。

仕事のミスをかばってくれたお礼にと、その夜に佐々井をバーに誘い2人で飲んだ。

グラスの水をじっと見つめる佐々井。
「何を見ている?」
「ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って」
どこか浮世離れした感性を持っている佐々井にぼくは惹かれていき…

・感想

星座の話、天気の話、科学的な話をとりとめのないように扱う2人の会話は小気味よい。

ぼくも数人そういう感覚になれる友達がいる。お互い気を遣うわけでもないが、自然と「合う」関係性だ。

この本を読むとそんな感覚に身を寄せることができる。この本が青春小説といわれる所以か。

面白かった一節として、公金横領を過去にしたという佐々井がつぶやいた場面だ。

「業務上横領の犯人が捕まったという記事を新聞で見るたびにぼくは笑った。彼らは決まって金を使い果たして、懐中わずか数千円というようなみじめな状態で逮捕されている。まるで、早く使って早く捕まった者が勝ちというゲームのようだ。だから、キャバレーで金を撒くような真似をする」
「なぜだろう?」
「わからない。横領したとたんに金というものの汚染力に気付いて、始末しなくてはいけないという強迫観念に取りつかれるのかもしれない。自由になろうと思って盗んだのに、いよいよ不自由になっている自分に気付く。金が重荷になる。駆け落ちした翌日にもう後悔している恋人たちみたいにね。でも、本当のところはわさらないな。」

なんかわかる気がする。
自由になりたいと思って、仮病で休んだけれど、なぜかもやもやした気持ちで早く1日が過ぎ去らないかと、せっかく手に入れた休日を不意にしてしまう、そんな感覚に近い。

というように感想を書いてみたけれど、この本の魅力を表現するのは難しい。たった89ページの青春小説なので、ぜひ手にとって読んでみてほしい。

盲腸になりまして。

病院に入ったのは朝8時過ぎ。

8:30には受付が開始されて、しばらく待っていた。頭痛がひどくなってきて、ソファに横たわらせてもらった。

しばらくすると、看護師さんが来て、診療所のベッドを貸してくれた。

隣では救急の患者さんが運ばれてきたようだ。少し時間が後ろになりそうだなと思ったところ、10時前頃には診療をしてもらえた。

お腹を押して話をしたところ、やはり盲腸(虫垂炎)の疑いが強いとのこと。

レントゲン→採血→血液検査→CT(血液に液を流して腸の中を造影するもの)という流れで診療が進むことになった。

まず痛かったのが採血。
左腕の静脈にぐさっと注射針が刺さった。1回目はうまくいかず、2回目は別の箇所で取った。

その血液検査の結果が出るまでに1時間かかるということで、しばらく待機になった。

その間、熱が38.2度まで上がって頭痛が続いていたため、点滴を打ってもらった。

液体で栄養を摂取するというのは初めての経験だったが、少し楽になった気がした。

時間が経ち、血液検査の結果が出たそうだが、明確にはわからなかったようだ。

そのため、CT(造影剤を用いて患部をくっきり見る検査)をすることになった。

その検査はお昼をまたいで、13時過ぎに行われることになった。

この頃には、母だけでなく父も仕事から駆けつけてくれ、同病院でお昼まで働いていた叔母も来てくれた。

車椅子に乗せてもらって、CTを撮るためにレントゲン室まで運んでもらった。

扉を開けると、SF映画に出てくるタイムマシンのような機械が現れた。
そこに横たわって検査の説明を受けた。

静脈から造影剤を注入されると、身体が熱くなるそうだが、それが普通の反応だということだ。

機械がものすごい音を上げて、女性の声で「息を吐いてください。止めてください。楽にしてください。」というのが聞こえた。

「これで終わりかな…?」と思ったところ、造影剤を注入すると告げられた。

左腕の点滴を入れていたところから、造影剤が注入された。

度数の高いウイスキーを飲んだ時のように、喉元が熱くなり全身が熱くなった。

と同時になぜかくしゃみが出た。

その時がちょうど「息を止めてください。」という女性の声があったときだったため、大丈夫かと不安を胸に抱えつつも、また造影剤を入れられるのは勘弁だと思い、検査を終えた。

診療所に戻り、またベッドで休ませてもらっていると、担当の医師の方が来てくれた。CTの結果を教えてくれた。

結果から言うと盲腸の初期状態で、対処としては薬でちらす、ということだ。

「入院して手術」は免れた。よかった。
しばらくは薬を飲んでの自宅の療養になった。

検査が終わったのは15:00頃。父の「お腹減ったろ」という言葉に甘え、帰り際、病院に併設されたレストランでオムライスを食べた。

朝から何も食べていなかったため、一層おいしかった。

帰りの車の中で、職場の上司の方、上長の方に結果を報告して、翌日の休みの許可もいただいた。

今回、いろんな人に迷惑をかけた。

朝早くから診察券を出しに行ってくれた母、送迎をしてくれた父はもちろん、

診療結果を伝えると、心配してくれた上に、明日の休みも快く受けてくれた上長方

当日参加する予定だったイベントについてほぼ当日キャンセルにもかかわらず、それより身体の安静を、ということで優しい言葉をくれた上司の方

自分は周りの人が病気にかかった時に、同じように対応できるだろうか、自分のことばかりに夢中になってしまわないだろうか。

今回の一件で自分が一人では生きていないことを強く実感した。

「詐欺の帝王」から

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◇はじめに
◇あらすじ
◇興味深かったこと
◇本藤の強み
◇詐欺がなくならない2つの理由
◇詐欺師は現代の鼠小僧か?
◇感想

◇はじめに

システム詐欺(ヤミ金オレオレ詐欺など)の帝王と言われた本藤の軌跡を追うルポ。

暴力団関係の書籍で著名な溝口敦さんが書いた本。

大前提として、当書は詐欺を肯定しているものではない。

詐欺を取り巻くグループ、手口、警察との駆け引きなどをベースに、本藤がいかにのし上がったかという、帝王学的側面が強い本である。

◇あらすじ

大学に入学した本藤は、独特の大人びた世界観もあって、イベサーの年長者との付き合いが多くなる。

本藤はイベントの開催を通じて、興行者としての才能を開花させていく。
その経験はお金を引っ張るコツ、組織をコントロールするノウハウ、そして暴力団も含めた濃い人間関係を本藤にもたらした。

卒業後は大手広告代理店(おそらくD通)に入社するも、スーフリ事件の飛び火を被ってグループ会社へ左遷される。

広告会社で一花咲かせることを夢見ていた本藤は失望し退職。
その後、学生時代のつながりからシステム詐欺の道へと足を踏み入れていく…

◇興味深かったこと

・本藤は暴力団でもカタギ(一般人)でもなく、半グレと言われる狭間で暗躍することを好んだこと。

リスク管理の考え、組織を守る部分で知恵が働く部分

・詐欺の基本は「かぶせ」

※同じ被害者を狙って何度も詐欺を仕掛けること。1度引っかかった被害者は、2度目、3度目も引っかかりやすい。

ダニエル・カーネマンのプロスペクト理論の適用など学術的側面もあったこと。

※プロスペクト理論…人は損を諦めて、損切りすれば、新たな損を被らずに済むのに、損を回復してプラスマイナスゼロにしたい欲求が強いという理論

・ただでは転ばない、ということ

税務署に追徴を受け、国内に現金を置いておくことを避けようとした結果、マネーロンダリングを考えた本藤。

ドバイに視察に行った際、イラクディナール札(イラク戦争により価値暴落)が使われていることに気がついた。

戦争終了後、価値が爆上がりする、というネタで使えるのでは?と考案したこと。

◇本藤の強み

人間関係構築力…表社会、裏社会に限らず顔のきく存在になっていたこと
×
ハッタリ、自信…暴力団相手にもうろたえず、むしろ食うような姿勢で臨んだこと
×
人心掌握術…側近のもの、末端のもの、組織に属する者の行動管理術

◇詐欺がなくならない2つの理由

2点挙げられている。

1.「儲けたい」「勝ちたい」「隠したい」という欲求…

「儲けたい」という欲求には未公開株詐欺や社債詐欺が、「勝ちたい」という欲求にはパチンコ必勝法詐欺など、「隠したい」という欲求にはアダルトサイト等の架空請求詐欺がある。

…つまり、欲望がなくならない限り詐欺はなくならない、と本藤は締めている

2.日本人にマネー教育がなされていない…
日本人は子供の頃からお金の教育を受けていないから。

医者や弁護士といった知的階級の人でさえ、為替とは何か、株券とは何か、を具体的な形で知らない人が多い。

そのため正常に判断をすることができない。

◇詐欺師は現代の鼠小僧か?

興味深い一文があった

「年寄りが持っている使わない金は死に金だ。おれたち若者が使うことで経済を回して富の再分配をしている。」

果たして本当にそうだろうか?

この答えは終章に書かれていた。

「しかしシステム詐欺の盛行により、詐欺師たちが主張するように、国民所得の再分配が行われたかといえば、そうでないと否定せざるを得ない。このことは巨富を握る事業家がシステム詐欺に巨額を詐取されたという話を聞かないことに明らかだろう。(中略)つまりシステム詐欺は大金持ちのカネに一指も触れられず、日本の資産構造は微動だにしていない。おそらく富商から奪ったカネを貧者に投げ、江戸期に義賊とされた鼠小僧も同じことだったはずだ。盗みや詐欺で構造的な変化をもたらすことはできない。」

結局のところ、詐欺師たちが自分の行動を正当化するための戯言にすぎないのだ。

◇感想

大半は本藤のスケールしていく道程についてだったが、詐欺が行われれる背景や共生者(弁護士や探偵、ex)過払い金申請)など話が膨らんだ。

家族の核家族化、孤立化が老人への詐欺を容易くしているということや、正社員になるのが難しく、こうした闇の世界に足を踏み入れる若者も少なくない、といったことなど、社会に問題を投げかける一冊だった。

「叡智の断片」を借りれるように

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ミッテランには100人の愛人がいる。その中の一人がエイズなのだが、それがどの女か彼は知らない。ブッシュには100人のボディガードが付いている。その一人は実はテロリストだが、それが誰か彼にはわからない。そして私には100人の経済顧問が付いていて、その一人は優秀なはずだが、それが誰だかが私にはわからないんだ」
ミッテラン…フランスの首相

ゴルバチョフの発言から本書は始まる。

著者は、偉人の言葉を引用することを「叡智の断片を借りる」と表現している。
また、日本では偉人の言葉を引用することが少ない。自分の意見を飾る際に、引用は必要になってくるが、日本では意見を言う機会がそもそもないからである、と主張をする。

本書では、そんな「叡智の断片」を交えて、様々なテーマについて著者が語っていく。ユーモラスな叡智の断片は自らの人生の見方を少し豊かにしてくれそうである。

「ぼくはきみの意見に反対だ。しかし、きみがそう言う権利のためには命を懸ける」ーヴォルテール

結婚の真実、という章が面白かった。
「本当の幸福がどんなものか、ぼくは結婚するまで知らなかった。知った時はもう手遅れだった。」ーマックス・カウフマン

「私たちの結婚生活が長く続いている理由をよく人に聞かれるんですよ。そうむずかしいことじゃない。週に二度はレストランで食事をするんです。ロマンチックな蝋燭の明かりで、心地よい音楽とダンスを楽しみ、おいしいものを食べる。妻が行くのは火曜日で、私は金曜日です。」ーヘニー・ヤングマン

「申し訳ない、御社をぐちゃぐちゃにしたのは私です。」

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唐突な謝罪文から始まるこの本は、MIT卒の経営コンサルタントの方が実体験を元に書いた指南書である。

 

英訳は「I'm Sorry. I Broke Your Company」だそうだ。

 

僕は経営コンサルタントでもないし、就活の時には選考で落ちた経験もあるので、本を通じてコンサルタントの仕事の一面を垣間見ることができるのはいいことだと思う。

 

この本を読んで感じたことを以下のトピックに分けて書いていこうと思う。

◇要旨

コンサルタントの苦悩

◇大事なところ

◇面白かったところ

1.人の振り見て我振り直せ

2.「コンサルが去ったあとに残るのは『大量の資料』だけ」

3.問題を自覚しているけれど、変えられない時の救世主

4.「数値目標」が組織を振り回す

 

◇要旨

この本の要旨はIntroductionの23ページ、本を開いて3分ほどで到達するところに書いてある。

 

「ビジネスは『数字』では管理できない。なぜならば、ビジネスとは「人」であるが、人間は理屈通りに動かないからだ。逆に言えば、人材のマネジメントさえできれば、あとはうまくいったも同然だ」

抜粋してまとめるとこのような内容になる。

 

これを本旨に置きつつ、著者の実体験を交えて本書は展開される。

 

コンサルタントの苦悩

「貴社の関係間の連携を強化するお手伝いをします〜(中略)〜仕事を頼んでくれない」

ここにコンサルタントの苦悩が示されている。

 

著者はブルウィップ効果の原因が、在庫管理の甘さなどではなく、「人間の感情」であると気がついた。

※ブルウィップ効果…サプライチェーンの末端で生じるわずかな需要の変動が、チェーンをさかのぼるにつれて増幅され、最終的には大きな変動となって表れること→要するに、川下の影響が川上に行くほど大きくなるということかな?

 

つまり、サプライチェーン部門間の信頼関係を構築することなどが肝要であるということだ。

ところが、そのことをストレートに話すと、クライアントは相手にしてくれないという。

 

仕方なく、「在庫管理システムを導入することが大事です」などど見せかけのトークを引っ提げざるを得ない。

その点がジレンマだというのは知らない内容だった。

 

◇大事なところ

「ビジネスは『数字』では管理できない」

じゃあ!どうするの?

 

その問いに対して、著者は「ともかく大事なのは、モデルや理論などは捨て置いて、みんなで腹を割って話し合うことに尽きる」としている。

 

具体的な回答でないように思えるが、これは「間違い」ではない。

 

一方、「これって当たり前じゃない?」とも思ったが、「そんなのはもちろん当たり前のことだろう」とばっさり斬り捨てている。

 

なぜか、この部分が僕の持つ”従来”のコンサルタントらしさを感じ、著者の標榜する”あるべき”コンサルタントの姿と矛盾するような気がして、少し興味深かった。

 

◇面白かったところ

 

1.人の振り見て我振り直せ

 

著者が所属していたジェミニというコンサル会社。

ダウンサイジング(人員削減)の導入で有名だったが、

時代の趨勢についていけず、最終的には自社がダウンサイジングを実施することになったという皮肉な事例。

 

2.「コンサルが去ったあとに残るのは『大量の資料』だけ」

アイゼンハワーの有名な言葉から始まる。

「戦闘準備において、作戦そのものは役に立たないことを強く思い知らされたが、作戦を立てる行為こそが重要だ」

→ビジネスは予想通りに行かないが、準備をすることで軌道修正ができる、という結論を著者は導き出している。

 

計画自体にはほとんど意味はないが、計画を立てる過程にこそ価値がある、ということである。

 

この話をコンサルに当てはめると、

コンサルが残したパワーポイントや報告書をプリントアウトして読むだけでは意味がない。どうしてその結果が出たのか、分析し、頭を絞って考えることが大事。

 

外部に頼りっぱなしではなく、自社で考えて結論を出せる会社が強い。

 

「実際、その能力と時間、ノウハウがないからコンサルに任せるんだよ!」というのは尤もな意見であるが、だからこそそれをできる会社は強いし、その人材の価値は高くなると思う。

(大企業だと戦略策定は経営陣。現場との距離が離れることを考えると、会社規模が大きくなるほど難しくなるとは思う。)

 

3.問題を自覚しているけれど、変えられない時の救世主

著者はある工場の生産効率向上の案件を引き受けた。

現場の作業員の話をよく聞いて情報を集め、自分の頭で考えた結果、経営陣改善案を気に入ってもらえた、というケース。

 

今回の示唆はコンサルタントの力がここで発揮されるということだ。

今回は、現場の人が問題点を自負しているにもかかわらず、業務のやり方を変える権限がなく、疎外されていたという実態があった。

 

現場と経営陣の架け橋として、コンサルタントが活躍できた事例である。

少しだけ、今の仕事の状況に当てはまる気がして、不思議な気持ちになった。著者は「一部にメスを入れても意味がない」としている。その通りだ。

4.「数値目標」が組織を振り回す

この章で言いたいことは、「数値目標は手段であって、目的ではないこと」である。

数値目標を立てる
→大半の目標は"なぜか"達成できる
が、目標に見えない大事な部分が見過ごされてしまう。

営業職の売り上げというのは期末で一気に伸びることが多い。理由は、営業職がリベートや値引きを多用するからである。しかし結果的に会社としての利益は落ちる。

他にもある具体例としては
・無茶な目標を課せられていた営業担当が、「返品していいから買って!」といって、今期の目標は達成したが、来期には多くの返品が入り、会社は不良在庫を抱えることになる(その営業はクビになることを覚悟していた)

・修理センターの売り上げ向上を図ったところ、同センターで詐欺が頻発した。直さなくてもいいのに、故障だと告げるようになったのだ。そのことがバレ、会社は大ダメージを受けた。

・バスの運転手に対し、定刻通り運転したらインセンティブを与えるようにした。すると、運行予定に間に合わないペースだと、運転手は乗客の待つ停留所をスルーするようになった。

といったものがある。

数字によるインセンティブはあまりよくない、ということは以前会社のセミナーで聞いた内容だった。
その時はピンとこなかったが、この本を読んで腹落ちした。

要するに、数字を掲げることは大事だが、無茶な設定をしてしまうと、ねじ曲がった目標達成がなされ、結果的に大きなマイナスをしてしまう、ということだ。

「数字は嘘をつかない」というのは半分正解で、半分間違いである。間違い、というのは数字の扱い方に個人的な思惑が反映されるからである。これは「データに溺れる危険性〜里山創生を読んで〜」に通ずるものがある。

自分が上司になって、目標の査定などがあった際には、それが部下にとって達成可能な目標なのかどうか精査する必要があると思った。

また、目標を数値だけにおかずにモチベーションを上げるという点では、ダニエルピンクの「モチベーション3.0」における話が有用に思える。
ウィキペディアやチャリティー活動など無数の利他的活動がヒント。

深夜のマッサージを受けて〜LTVと利益逓増〜

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僕はマッサージが好きだ。

先日も渋谷の阿里郎(アリラン)というマッサージ屋にいってきた。

僕がタイやフィリピンなどに何度も足を運ぶ理由の一つに、マッサージが安価であることが挙げられる。

※ピンクネオンを掲げるお店でないことは断っておきたい

 

暖かくなってきた春の夜、外回りで疲れた足を癒そうと、平日の深夜にマッサージを受けにいくことにした。

家から自転車で1分ほどの距離にあり、2時まで営業しているチェーン店だ。

 

結構繁盛していることは知っていたので、「足つぼ、30分、指名なし」と事前に電話をして伝えて、少し先の時間で予約を取った。

 

予約の時間になり、お店に着くと、担当の方が入店からフォローしてくれた。

しかし、対応がぎこちない感じの方で、あばれる君に似ていた。

 

結論から言うと、そのマッサージは下手だった。

 

足裏マッサージだったが、五寸釘をねじ込まれるかのような感じだった

 

 

「ああ、今日ははずれだな」と心の中で思いつつ、ふと考えることがあった。

 

お店のメニューを選ぶポイントは3つあった。

1.施術内容…足裏/肩/ハンドマッサージなど

2.施術時間…30分/45分/60分/75分/90分など

3.指名制度…指名あり/指名なし

今回の僕のオーダーは「足裏、30分、指名なし」であった。

 

受付に他のスタッフがいたことを考えると、僕は「金にならない客」と考えられ、(おそらく)新人の彼に流されたのであろう。

 

はたしてこのお店の選択は正しかったのであろうか。

僕だったら逆の選択を取ると思う。

つまり、一見の客にあえて上手なスタッフを当てるのだ。

 

この判断の理由には、LTV(顧客生涯価値)という指標がある。

※LTV…一人の顧客が取引期間を通じて企業にもたらす利益(価値)のこと。
プロダクト中心の従来のマーケティングから顧客重視のマーケティングにシフトしてゆく中で注目されてきた概念のひとつ。激しい市場競争の中において、自社の顧客との良好な関係を構築し企業利益を向上させようとするCRMにおける重要な指標で、
顧客価値=利益×取引期間(ライフタイム)×割引率(現在価値係数)
であらわされる。
つまり、自社の製品やサービスが継続的に顧客に選択され続けることが顧客価値向上の原点となります。(コトバンクより引用)

簡単に言うと、よくくる客(リピーター)は会社に大きな収益をもたらすということだ。

 

今回のケースで言うと、僕のようなしょぼいオーダーの客でも、1回目は腕のいいスタッフを当てて、リピート率の向上をはかることが戦略としては望ましいのではないかと考えたのだ。

 

全ての客にその考えを適用すると、お店が回らないのではないか、という意見もあるだろうが、その対応として「指名制度」がある。

 

2回目以降の客に関しては、指名をしないと腕のいいスタッフに当たらないようにすれば、収益も確保することができる。顧客としても、そのスタッフには払う価値があると知っているので、安心して料金を支払うことができる。

 

と、つらつらと持論を展開してしまったが、自分に当てはめてみた際に、実際に上記の考えに基づいた行動をできているか意識することが大事だと思った。

 

具体的に言うと、あまり売上の立たなさそうな案件でも新規のお客様なら、プレミアムな対応を心がけるのが大事なのではないか、ということである。

 

後で振り返ってみれば、そういったお客様のおかげで自身の目標を達成することになるかもしれない。

目先の利益だけを追求して、将来の大きな果実を失うことのないように、今回の深夜マッサージの経験は胸に留めておきたい。

 

p.s.

マッサージを受けていて思ったのだが、施術側と受ける側の気持ち良さにおける認識の差異というのは大きなものだと思った。

「神の手」と呼ばれるほどのベテランのマッサージ師なら、感じることができると思うが、みんながみんなできるわけではないと思う。

脳波で快感・不快感を把握して、動きに反映するような自動マッサージ機が発売されたら、結構売れそうだな…とも思った夜でした!以上!